
日本での英語の勉強方法は、単語やフレーズ、そして文法を「暗記」すること、を重視しているような印象があります。おそらく、すべての日本の学問が、中国の学問、つまり漢文を学ぶことを基本としていて、漢文の読み書きに必要な知識を「暗記」することが重視されてきたせいかも知れません。
中学校からずっと英語を勉強してきて、いま外国人と仕事している自分の経験から言うと、英語の勉強とは、言葉そのものを覚えることではありません。実際、学生時代に「暗記」して覚えた英語表現で、長い間ずっとそれが正しいと信じていたものでも、ネイティブと話して実際の意味やニュアンスを教わったら意味がまったく違っていた、というように、長年の自分の常識がひっくり返る経験を、何度も何度もしてきました。
そもそも、単語やフレーズを単に暗記するだけでは、英語を本当に身に付けたとは言えません。たとえば、英会話の勉強でいくら会話表現やフレーズを覚えても、ネイティブと一対一で接した時に、自分の言いたいことが相手に伝わらなければ、それらを覚えた意味はありません。
コミュニケーションとは、相手の文化的背景を考慮しないと成立しないものです。
これは日本人が英語を勉強する時だけではなく、どこの国の人でも外国語を学ぶ時には同じことが言えると思いますが、この点に気付かない限り、いつまでたっても外国語はうまくなりません。フレーズを暗記した程度では、異国の人間と心を通わせることなど不可能です。
逆に、文化・宗教・習慣の違いに気付きさえすれば、実際の会話の中で「相手がどんな情報が必要なのか」や「相手の持っている常識」「相手の文化の中で共有されている情報」にも気付けるので、「何をどう言えば良いか」をはっきりさせることができます。
日本の英語学習教材はこの点を無視したものが多く、「すぐ使えるフレーズ集!」「英会話はこれで完璧!」のような、英語なんかラクに乗り越えられると言わんばかりの安直な本がやたらと目立ちます。最近はSNSやYouTubeで「ネイティブにかっこいいと思われる英語フレーズ集」のようなものも見かけますが、英語ネイティブは、かっこいいも悪いも気にしていません。
さて、このような「異文化コミュニケーション」を考えた時に気になるのが、日本の「おもてなし」の文化です。
そもそも日本の「おもてなし」は、もてなす相手が日本人であることが前提で成立しています。ところが相手が外国人の場合、たとえ流暢な英語で対応しても、外国人が本心では何を求めているのかを知らなくては、その「おもてなし」も快く受け入れてもらえず、まったく無意味なものになってしまいます。相手の文化的背景や習慣を無視した「おもてなし」は、単なる「ありがた迷惑」にしかなりません。
つまり、外国語を学ぶということは、異なる文化を学ぶ、ということなのです。
英語を勉強するのであれば、こういった点にも気付かなければなりません。
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