- Kaz Hattori
誰がために英文がある

日本では、長い年月の間に、国民の多くが日本出身でそれがほとんど当然とされる、いわゆる「同質社会」が形成されてきました。グローバル化と言われて久しい現在でも、長い年月で築きあげられたその同質性は失われていません。根源をさかのぼれば数千年、数万年前に辿りつくかも知れませんが、それはさておき、とにかく「同じ感覚を共有する社会である」ということは、日本に住み続けている日本人にとっては当たり前すぎて、意識すらしていないでしょう。
海外の人を相手にするとき、この「同じ感覚を共有してるから、言わなくても伝わるだろう」という意識が、しばしば混乱の原因になります。
さて、これは街なかに設置されている消火器と、緊急時の避難場所についての案内板を撮った画像です。
消火器は実際にはこの画像に写っているケースの中にあるのですが、ケースには"A Fire Extinguisher"とあります。日本語にすると「とある消火器」と書いてあることになりますが、この場合は"a"は不要ですね。"a"と"the"の使い方については今ここで説明はしませんが、そもそも日本語にはそれらに該当する冠詞が存在しないので、日本人が英語を学ぶときに出会う最初の、そして最大の壁かも知れません。
"a"と"the"についてはいずれ論じることにしまして、今回はその後の部分に注目しましょう。
"Hinan-jo (Temporary Shelter) is neighboring Elementary School or Junior High School."と書かれているのが読めますが、避難所、つまり地震や台風の時に、災難から逃れるために設けられる場所のことですね。「避難所は最寄りの小学校・中学校です」という意味のつもりでこう書かれているようです。
避難所とは、日本で生まれ育った人にとっては災害発生時のニュースでおなじみの、ごくありふれた単語ではありますが、しかしこうやって消火器に避難所の説明が添えられていることで、「避難?なぜ?よく爆発でも起きるの?」のように、日本という土地に馴染みのない人を混乱させてしまう可能性はないでしょうか。「地震や台風で災害が発生して自宅が危険な状況になった時のために、避難所が必要なのです」という、それを知らない人にとっては大事なメッセージがまるごと省略された案内板、そしてそれが街なかの消火器に添えられているということが、まるでかみ合わないパズルのピースのようにちぐはぐな印象を与えています。「地震や台風の際の…」などの文言が一言あれば、また少しは違うかも知れませんが。
ちなみに、この文の"neighboring"という単語は、日本語の「最寄りの」「~付近の」という意味として使われているようですが、むしろ「何かの近くにある」という感覚で、しかも文としては「ちなみに避難所というものは小学校・中学校の近くにあるものなんですよ」のようなニュアンスにしかなりません。これはいったい、なんのための情報なのでしょうか。
つまりこの英文の案内板は、「地元に住んでいて周辺のことに詳しく、かつ日本語を読めない外国人」という人のためだけにあるようなもので、たとえば日本に詳しくない海外からの旅行者・訪問者にとっては、ほとんど役に立たない、むしろ混乱するだけのものです。わざわざ英語で書いても、そのメッセージを伝えるべき相手を無視した内容では、その努力はただの無駄ではないでしょうか。
同じ言葉を使って同じような環境に住み、同じ考え方を共有できる人がまわりにたくさんいる「同質社会」に慣れれば慣れるほど、言わなくても伝わることが増えます。その結果、情報伝達が単純化され、大事なメッセージさえ省略することにも抵抗がなくなってしまうのは、たとえば同居する家族とのコミュニケーションを想像するとわかりやすいかも知れません。
大事だからといって必ずしも同じことは2回言わなくてもいいのですが、相手の気持ちを尊重し、必要とされるであろう物事を考え、それをさりげなく与えること、それが本当の思いやりであり、おもてなしであるはずです。「英語で書いたんだから、これでいいだろう」のような一方的な押し付けでは、おもてなしは成立しません。
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